津山正義の経歴と現在の活動!結婚や教員復帰までを徹底解説!

2011年12月22日、午後9時半頃、JR吉祥寺駅から京王線仙川駅にむかう東京・三鷹市で起きた「バス痴漢冤罪事件」に巻き込まれた、当時27歳の中学教師・津山正義さん。

痴漢冤罪は、普通のサラリーマンが、毎日利用している交通機関の中で、ある日突然、「痴漢です」と訴えられると、その一言で長期にわたって身柄を勾留され、否認すれば刑事裁判にかけられるという道をたどります。

この記事では、女子高生の供述だけで逮捕・起訴されながら、長い裁判の末に無実が認められた津山さんの経歴や現在、事件の経緯から無罪判決の理由などを詳しく解説します。

この記事でわかること
  • 津山正義さんの経歴
  • 津山正義さんのその後と現在
  • 三鷹バス痴漢冤罪事件とは?
  • 有罪判決から高裁逆転無罪までの経緯
目次

津山正義さんの経歴

津山正義さんの出身学校や、家族関係については調べてみましたが詳しい情報は公開されていませんでした。

当時、公立中学校の数学教師をしていた津山正義さんですが、無罪が確定した翌日から教員として学校に戻りました。現在も教員として教壇に立たれていると思われます。

「三鷹バス痴漢冤罪事件を支援する会」の記事で、津山正義さんが語った内容が次のように記載されています。

青年教師だった津山正義さん(公立中学校教諭、起訴休職中)も、中学時代からの夢だった中学校の数学の教師という職に就き、担任のクラスをもった二年目にこの事件に巻き込まれました。そのために初めて受け持った教え子たちの卒業式にそっとたちあうことも許されませんでした。「彼らとの最後の時間をうばわれたことがいちばん悔しい」と言います。
 「サッカー少年だった頃、サッカーの上手なクラスの同級生は算数が苦手で、放課後、居残り勉強をさせられてしまうんですね。彼らがいた方がサッカーが楽しかったので、少しでも早く仲間を校庭に引っ張り出すために、得意だった算数を同級生に教えたとき、相手の『あ、そうか、わかった!』という嬉しさが伝わってきて僕自身も嬉しかった。それが僕の教師になりたいという気持ちの原点だと思います」

引用元:市民の司法を考える「三鷹バス痴漢冤罪事件を支援する」

津山正義さんについて
  • サッカー少年だった
  • 少年の頃から、算数が得意
  • 中学時代に中学の数学教師になりたいという夢があった
  • 事件前に勤務していたのは三鷹市立中学校
  • 2011年12月の事件後、2014年7月の無罪判決までの間にその当時の交際相手と結婚
  • お子さんは少なくとも1人いる。(2014年7月30日の無罪判決確定後から1か月半経った9月半ば、東京・武蔵境で午後から開かれた報告集会に参加した際、「今度父親になる津山正義です(会場が笑いに包まれる=年内に出産予定)」と登壇した際に語った

津山正義さんの事件後と現在

津山正義さんの事件後はどのように過ごされていたのか?また現在はどうされているのか?調べてみました。

津山正義さんの事件後と現在
  • その当時交際していた恋人と結婚した
  • 教職に復帰した
  • 講演会等で自らの体験を話し「冤罪と闘う勇気」を伝える活動をしている

「三鷹バス痴漢冤罪事件」の逆転無罪判決が2014年7月30日に確定し、津山正義さんが事件前に勤務していた三鷹市立中学校に復職した2014年9月半ば。当時、東京・武蔵境で午後から開かれた集会の会場のホールは満席でした。

そこには、津山さんの家族や友人のほか救援会、支援する会など、これまで裁判を支えてきた100人を超える人たちが詰めかけました。そこで、津山さんのことが詳しく語られています。

裁判中に恋人との結婚

津山さんは支えてくれた恋人と裁判中に結婚しています。長い裁判の中、恋人は一度も津山さんの手を離さず、支え続けてくれたそうです。

2014年9月半ばに東京・武蔵境で午後から開かれた集会で、「今度父親になる津山正義です(会場が笑いに包まれる=年内に出産予定)」と登壇した際に語りました。

冤罪という重い現実を経ての結婚には、言葉にならない感動がありますね!

これだけの試練を一緒に乗り越えた二人、まさに本物の絆ですよね。

逆転無罪判決後の教職への復帰

2014年7月30日の無罪判決確定後、津山正義さんは教員として復職されています。

2014年9月半ばに東京・武蔵境で午後から開かれた集会で、津山正義さんの妻が語った言葉があります。

無罪が確定した翌日から正義君は学校に通っています。学校から帰ってくると愚痴を聞かされたりして、
事件前の日常生活が戻ってきました。
事件のことを忘れてはいけないのは分かっているけれど、こういう日常が何よりも大切で、ありがたくてうれしいとかみしめています」

引用元:身辺雑記2014年9月

中学生の頃からの夢であった教師。ごく当たり前のささやかな日常の幸せを取り戻せたことは本当に嬉しかったと思います。

津山正義さんの講演会活動

津山正義さんはその後、講演活動などを通じて「冤罪の怖さ」や「真実を見極める大切さ」を訴え続けています。

「明日は我が身」とも言えるこの問題、私たちも決して他人事ではありません。津山さんの言葉には、経験者だからこそ響くリアリティがあります。

「見た目で判断しない」「証拠を大事にする」そんな当たり前が、社会に根づくことを願っての活動なのだと思います。

冤罪を無くすためにも講演会で活動していた津山正義さんですが、いったいどんな事件だったのかも振り返ってみようと思います。

三鷹バス痴漢冤罪事件とは?

三鷹市内の小田急バス車内で、当時27歳だった中学校教諭・津山正義さんが女子高校生から痴漢の疑いをかけられたのは、2011年12月22日のことです。

津山さんはその日、学校に忘れた財布を取りに行くためバスに乗っていました。高校生の「スカート越しに尻を触られた」という証言のみで現行犯逮捕され、のちに起訴されたのです。

メディアで実名報道もされ、教職にも大きな影響を受けました。しかし、物的証拠は一切なく、微物鑑定でも繊維は検出されませんでした。

三鷹バス痴漢事件に残る5つの重大な疑問点

津山正義さんの事件には、「証拠不在」「女子高生供述の矛盾」など、多くの疑問点があります。その疑問点について調べてみました。

① 微物鑑定で繊維が検出されず、触っていない可能性

通常、痴漢事件であれば被害者の衣類に犯人の繊維が付着しているはずです。しかし津山正義さんのケースでは、繊維は検出されませんでした。

つまり「触った痕跡」がないということです。

これは大きな疑問点ですよね。

なぜこの事実がもっと重視されなかったのか…今となっては「え、それで有罪っておかしくない?」と思わずにはいられません。

② 犯行時間に携帯メール中。アリバイが存在?

津山正義さんが痴漢をしたとされる時間、津山さんは右手で携帯電話を操作し、左手でつり革につかまっているのです。

同じ時間帯に発着信があったことを示す携帯メールの履歴もKDDIのサーバーで確認されており、痴漢行為が物理的に無理じゃないですか!?

この“矛盾の塊”のような証拠が、なぜか初めはスルーされてしまったんです。

不思議すぎますね…

③ 女子高生供述の不自然さ

女子高生の証言には、時間や状況に関するズレが複数指摘されていました。

この事件で、女子高生は痴漢をしている手をつかまえたわけでもありません。女子高生の「さわられた」という供述があるだけで、目撃証言など客観的な証拠は存在しません。

それでも供述は絶対とばかりに扱われ、津山さんは追い込まれていくことになります。

④ バスの監視カメラ映像を警察が精査していない

なんと、事件が起きたバスの車載カメラには痴漢があったとされる時間、両手のふさがった津山さんの姿が映っています。しかし、警察はその映像をしっかり調べなかったという情報も…。

これ、本当に驚きですね!防犯カメラって、こういう時のためにあるんじゃないの?とツッコミたくなる対応です。

重要証拠が見落とされたまま、裁判へ突入していきました。

⑤ 証拠は「供述のみ」目撃者もいない

この事件で使われた証拠は、ほぼ被害者の供述だけでした。目撃者も、防犯カメラ映像も、物的証拠もなしです。

いわゆる「言ったもん勝ち」の状態で裁判が進んでいきました。

これで人の人生が左右されるなんて…考えさせられます。

津山正義さんが疑われた理由

津山さんが言った、リュックの接触がありトラブルを回避するつもりで「ごめん」という一言が誤解を生み、冤罪のきっかけになった可能性があります。

リュックが当たって誤解された可能性

当時、津山正義さんは脱着がしやすいよう、肩ひもを伸ばしたリュックをお腹側にかけてバスの後部に立っていました。このリュックが女性に接触し、それが痴漢と誤解された可能性があると指摘されています。

確かに、混雑した車内では勘違いも起こり得ますよね。でもそれが「人生を変える誤解」になるなんて…。

リュック1つで罪を着せられるなんて、恐ろしい話です。

「ごめん」と言った理由と逃走の誤解

「ごめん」の言葉が自白のように扱われましたが、実際は「ぶつかってしまったことへの謝罪」だったんです。

しかし突然、女子高生が津山さんの手をつかみ、「降りましょう」と声をかけてきました。勤務先へ向かうバスの中でトラブルを起こしたくなかった津山さんは、渋々途中の停留所で彼女と一緒にバスを降ります。

ところが、バスを降りた瞬間、女子高生からまさかの「痴漢された」と告げられたのです。津山さんはもちろん全力で否定しましたが、女子高生は「じゃあ帰ってください」と冷たく一言。それなら…と学校へ向かって歩き出したところ、なんと彼女は後ろから来た別のバスの運転手に「今、痴漢されました」と訴えていたのです。

この通報を受け、運転手と他2人が津山さんを追いかけて取り押さえ、「痴漢の犯人」としてそのまま逮捕、そして起訴されてしまいました。

有罪判決と控訴後の闘い

初公判では無罪を主張した津山さんに対し、なんと裁判所は有罪の判決を下しました。その根拠はほぼ供述のみでした。

不可解な有罪判決

証拠はないけど有罪って…信じられますか?

判決理由には、女子高生の証言は一貫しているから信用できるという驚きもあります。この瞬間、多くの人が裁判って本当に公正なの?と疑問を持ったはずです。

控訴後も冤罪に立ち向かう姿勢

有罪判決を受けても、津山さんは「やっていない」という信念を貫き通しました。弁護団と共に控訴し、高裁へ持ち込むことを決断したのです。

精神的にも相当な負担だったはずですが、一歩も引かずに闘い続けました。

もしここで諦めていたら、真実は闇に葬られていたかもしれませんね…

有罪判決から高裁逆転無罪までの経緯

東京高裁では、津山正義さんの主張と証拠がようやく丁寧に検討されました。2014年7月30日、ようやく“逆転無罪”が確定!

長いトンネルのような裁判が、ついに終止符を打ちました。

逆転無罪が確定した理由

特に焦点となったのが左手でつり革を持ち、右手で携帯メールを打っていたというアリバイです。痴漢行為と同時にそんな器用なことができるのか?という点が見直されました。その結果やっぱり無理だという結論に至ったのです。

さらに、女子高生の証言の不自然さや微物鑑定の結果も考慮されました。

逮捕直後に行われた「微物鑑定」では津山さんの手から女性のスカートの繊維はまったく検出されませんでした。スカートの繊維はウール100%。ウール=羊毛は化学繊維にくらべると壊れやすく付着しやすい、同時に繊維表面のキューティクルという鱗状の構造によって付着すると脱落しにくい、という特徴があります。実際、弁護側の実験では14回実施して、14回とも手からスカートの繊維片が検出されています。

引用元:市民の司法を考える

弁護団と共に闘った長い裁判の日々

津山正義さんの裁判を支えたのは、経験豊富な弁護士たちの存在でした。証拠の見直しや、法廷での綿密な主張の積み重ねにより、少しずつ風向きが変わっていきました。

弁護団は、最初から最後まで無実を信じて津山さんと共に闘い抜いたんです。

その信念と粘り強さが、最終的に真実を引き出した大きな力になったのですね!

津山正義さんを支え続けた支援者の存在

津山さんの冤罪を信じて支え続けたのは、家族や友人、そして同僚たち。さらに、冤罪被害を問題視する市民団体やジャーナリストたちも応援に加わり、見えない力が裁判の後押しをしました。

「三鷹バス痴漢冤罪事件を支援する会」も積極的に、多くの市民の方にこの裁判に関心を持っていただき、ご支援いただきたいと講演会などでも訴えかけていました。

孤独な闘いに見えて、実は多くの人々の信じる気持ちがひとつになった結果だったのだと思います。

まとめ

津山正義さんの三鷹バス痴漢冤罪事件は、単なる事件ではありませんでした。

それは

「正しい人が間違って罰せられる」という恐ろしい現実を浮き彫りにした出来事です。

普通の市民が、日常から切り離されて非日常へ放り込まれ、当事者でなければわからない辛さがあります。

津山正義さんは自分の経験を通じて、冤罪と闘う勇気と希望を私たちに伝えてくれています。この事件を知ったきっかけに「正義とは何か?」を考えさせられました。

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