【あんぱん】朝田のぶのモデルは小松暢!死因や闘病生活など生涯を徹底調査!

NHK連続テレビ小説「あんぱん」に登場する朝田のぶのモデルは、実在した人物「小松暢」さんです。

小松暢さんは、国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親として知られる漫画家・やなせたかしさんの妻でした。二人の間には子供はいませんでしたが、アンパンマンが二人の子どものような存在となりました。

小松暢さんは乳がん治療に伴う頭部血管破裂により亡くなられましたが、闘病中もやなせたかしさんを支え続けたとのことです。

本記事では小松暢さんの生涯や、やなせたかしさんとの出会い、二人の絆について詳しく紹介していきます。

この記事でわかること
  • 小松暢の死因と闘病生活
  • 小松暢とやなせたかしの出会いや馴れ初め
  • 小松暢とやなせたかしの出会いから死ぬまでのエピソード
目次

【あんぱん】朝田のぶのモデルは「小松暢」!

NHK連続テレビ小説「あんぱん」に登場する朝田のぶのモデルとなった実在の人物は「小松暢」さんです。

小松暢さんは1918年(大正7年)に大阪で誕生しました。熱血な性格で、土佐弁でいうところの“ハチキン”な性格だったようです。

日本最大の総合商社・鈴木商店に勤務する父と母の間に生まれ、当時の姓は池田でした。幼少期から毛皮のコートを着用するなど、当時としては珍しい現代的な生活を送っていたとのことです。

父親の死後も大阪で成長し、女学校時代には「韋駄天(いだてん)おのぶ」という異名を持つほどの優れた短距離ランナーとして注目されていたようです。

韋駄天・・・仏語。南方の増長天に属する韋駄天軍の一。四天王の八将軍を合わせた三十二将軍全体の長。もとバラモン教の神で、シバ神またはアグニ神の子という。仏教に取り入れられ、僧あるいは寺院の守護神となった。形像は、身に甲冑(かっちゅう)を着け、合掌した両腕に宝剣を持つ。釈迦が涅槃(ねはん)の後、捷疾鬼(しょうしつき)が仏舎利から歯を盗み去ったとき、この神が追いかけて取り戻したという俗説がある。非常な速さで駆け、魔鬼を排除するとされるところから、足の速いことや人をもいう。

引用元:韋駄天とは

戦後の1946年には、高知新聞社が初めて採用した女性記者2名のうちの1人となります。31名の応募者の中から、厳しい筆記試験と面接を経て選ばれたとのことです。

小松さんの波乱に満ちた人生は、ドラマの世界観に大きな影響を与えていますね!

小松暢の死因は?  

小松暢さんの死因は、乳がん治療に伴う頭部血管破裂でした。

長期にわたるがん治療の過程で、血管に大きな負担がかかり、最終的に頭部の血管が破裂して帰らぬ人となりました。

闘病生活は決して平坦なものではなく、病気判明時には大きなショックを受けたものの、やなせたかしさんを支えるという強い思いで前向きに治療に取り組みました。小松暢さんの闘病中の姿勢は、周囲の人々に大きな勇気を与え続けています。

乳がん治療に伴う頭部血管破裂とは?

小松暢さんの命を奪ったのは、がんの放射線治療による頭部血管破裂でした。

1993年11月22日午前4時、75歳で永眠された小松暢さんは、NHK朝ドラ「あんぱん」の原案となった「アンパンマンの遺書」によると、ほぼ苦しむことなく静かに息を引き取ったとされています。

小松暢さんの闘病は1984年に始まりました。当時、アニメ「アンパンマン」のテレビ放送が企画検討されていた時期に体調不良を訴え、東京女子医科大学病院を受診。検査の結果、乳がんと診断されました。

夫であるやなせたかしさんは担当医から「肝臓への転移があり、余命はわずか3か月」という厳しい宣告を受けたといいます。

しかし、小松暢さんは医師の予想をはるかに超えて闘病を続け、その後も約9年間生き延びることになります。最終的に放射線治療の長期的影響によって頭部の血管に負担がかかり、破裂に至ったのです。

病気判明時の様子  

小松暢さんは乳がんの診断を受けた際、驚くべき精神力で現実を受け止めました。

深刻な病状にもかかわらず、過度に悲観することなく、前向きな姿勢を貫いたのです。医師からの厳しい余命宣告に直面しても、小松暢さんは人生の新たな局面として冷静に受け入れていました。

これまでの人生でも多くの困難を乗り越えてきた小松暢さんにとって、病気という試練もまた、乗り越えるべき一つの壁に過ぎませんでした。当時を知る人々は、小松暢さんが自身の状況を冷静に受け止め、弱音を吐くことなく日々を過ごしていたと証言しています。

また、小松暢さんが自分自身の病気に向き合いながらも、常に夫であるやなせたかしさんのことを第一に考えていたという点です。自分の病状よりも、残されるやなせたかしさんの生活や仕事の心配をしていたと言われています。

小松暢さんのこうした強さと優しさは、周囲の人々に深い感動を与えていたのだと思います。

闘病中の「小松暢」の思い

闘病中の小松暢さんは、自分の病状よりも夫・やなせたかしさんの将来を最優先に考えていました。

自身が重篤な状態にありながらも、やなせたかしさんの今後の生活や仕事の継続を心配し、常に気にかけていたのです。

小松暢さんの強い精神力と深い愛情は、苦しい闘病生活の中でも決して揺らぐことはありませんでした。

たかし転機となったのは漫画家の里中満智子さんからの情報でした。里中さんはやなせさんに「丸山ワクチン」という抗がん剤の存在を教えたのです。

担当医からは「水のようなもので効果はない」と明言されていましたが、やなせたかしさんは最後の望みを託して小松暢さんに勧めました。驚くべきことに、丸山ワクチン投与後、小松暢さんの体重は増加し、体調にも改善が見られるようになったのです。

この出来事は小松暢さんに闘病への意欲をさらに高めることになりました。

たかし最期まで諦めず、前向きに生きる小松暢さんの姿勢は、やなせさんの漫画家としての創作活動にも大きな影響を与えていたのでしょうね。

小松暢の旦那はやなせたかし!

小松暢さんの夫は、国民的キャラクター『アンパンマン』の生みの親として広く知られるやなせたかしさんです。

やなせたかしさんは素晴らしい才能の持ち主で、絵本作家や詩人として有名になる以前は、依頼された仕事を何でも引き受ける多才な人物だったようです。

編集者、舞台美術家、演出家、司会者、コピーライター、作詞家、シナリオライターなど、幅広い分野で活躍していました。

1919年(大正8年)2月6日に東京府北豊島郡滝野川町(現在の東京都北区)で誕生したやなせたかしさんは、若い頃に日中戦争(中国戦線)へ出征した経験を持ちます。

戦地では主に暗号の作成・解読を担当していました。戦後は一時期、戦友たちと共にクズ拾いの会社で生計を立てていましたが、絵への情熱が再燃し、1946年(昭和21年)に高知新聞社へ入社しました。高知新聞社での勤務が、後に小松暢さんとの運命的な出会いにつながることになります。

小松暢は再婚  

小松暢さんは、やなせたかしさんと結婚する前に一度結婚歴がありました。

女学校卒業後に家を出た小松暢さんは、東京で6歳年上の日本郵船勤務・小松総一郎さんと出会い、結婚しています。なんと、小松暢さんの父親と総一郎さんはともに高知県の出身でした。

新婚生活が始まったばかりの頃、第二次世界大戦が勃発し、総一郎さんは軍に召集されてしまいます。暢さんは高知で終戦を迎えましたが、戦地から帰還した総一郎さんは病に倒れ、間もなく他界してしまいました。

最愛の夫を失った小松暢さんは、総一郎さんが遺したライカカメラを手に新たな一歩を踏み出します。高知新聞社に入社し、『月刊高知』の女性記者として活動を始めました。

運命的なことに、小松暢さんの入社から数カ月後、同じ部署に配属されてきたのが後の夫となるやなせたかしさんだったのです。

二人の出会いは、暢さんにとって人生の新たな始まりとなったのですね!

小松暢には子供がいなかった

小松暢さんとやなせたかしさんの間には子供がいませんでした。しかし、子供がいないことで二人の絆はむしろ一層深まったとも言われています。

お互いに支え合い、やなせたかしさんの漫画家としての活動を小松暢さんが全面的にサポートするという関係性の中で、家族の形を築いていきました。

やなせたかしさんは「アンパンマン」というキャラクターを通じて、自分たち夫婦の思いを世に送り出すことになったのですね!

「アンパンマン」が子供のようなもの  

やなせたかしさんと小松暢さん夫妻にとって、「アンパンマン」は実の子供のような存在でした。

やなせさん自身もインタビューなどで「アンパンマンが私たちの子供だ」と語っていたほどです。

漫画家として独立を目指していたやなせたかしさんを、小松暢さんは「なんとかなるわ。収入がなければ私が働いて食べさせるから」と全面的に後押ししました。

やなせたかしさんが創作活動に没頭できたのは、小松暢さんの支えがあったからこそですね!

やなせたかしさん自身も「仕事以外はすべてカミさんに頼っていた。散髪も彼女にしてもらったし、病気になると全力で看病してくれた」と感謝の気持ちを表現しています。

このような夫婦の深い絆と互いの信頼関係の中から誕生したのが「アンパンマン」でした。二人の間に子供はいませんでしたが、アンパンマンという作品を通じて、やなせたかしさんと小松暢さんの愛情や思いやりの精神は多くの子どもたちに届けられていきました。

小松暢とやなせの出会いや馴れ初め と二人の出会いから死ぬまでのエピソード

小松暢さんとやなせたかしさんの出会いは、まさに運命的なものでした。

二人は互いを支え合いながら人生の喜びも悲しみも分かち合い、約半世紀にわたる深い絆で結ばれました。

小松暢さんの死去までの道のりには、数々の感動的なエピソードが残されています。

高知新聞での出会いとやなせの一目惚れ

高知新聞社での小松暢さんとやなせたかしさんの最初の出会いは、やなせたかしさんの一目惚れから始まりました。

小松暢さんの入社から数カ月後に同じ部署へ配属されたやなせたかしさんは、真向かいの席に座った瞬間から小松暢さんに好意を抱くようになったのです。

小松暢さんは「美少女タイプ」で「一見色白でかよわそうに見える」けれど、実は「体育会系の硬派」な一面を持っている。雷が鳴ると「もっと鳴れ!」と喜んだり、広告料の集金で不誠実な態度をとる相手にハンドバッグを投げつけて「きちんと払いなさいよ」と啖呵を切ったりしていた。

これは、やなせたかしさんが小松暢さんのことを語ったものです。

このような小松暢さんの姿に、やなせたかしさんはすっかり心を奪われてしまったのです。

戦後間もない時代、女性記者として堂々と活躍する小松暢さんの
姿がやなせたかしさんの心を捉えて離さなかったのですね!

2人ともに上京することになったきっかけとは?

二人それぞれの転機が上京のきっかけとなりました。

小松暢さんは東京の代議士から秘書就任の依頼を受け、迷うことなく高知新聞社を退職して首都へ移住しました。

この突然の決断により、小松暢さんとの別れを実感したやなせたかしさんは孤独な日々を送ることになります。

その後、やなせたかしさんは南海大地震という危機的状況に遭遇します。しかし地震発生中も深い眠りから目覚めることなく寝坊してしまいました。

この経験からやなせたかしさんは自身のジャーナリストとしての適性に疑問を抱き、新たな道としてデザイナーあるいは漫画家を目指すことを決意します。結果として、やなせたかしさんも東京への引っ越しを決断するに至りました。

二人の上京は異なる理由によるものでしたが、結果的に同じ都市で新たな人生を始めることになったのです!

漫画家やなせたかしの独立を後押し

小松暢さんは、やなせたかしさんの漫画家としての人生を全面的に支えました。

「いざとなったらわたしが食べさせてあげる」という小松暢さんの言葉が、やなせたかしさんの漫画家としての独立を決定づけました。しかし、やなせたかしさんの漫画家としての活動は小さなものにとどまり、手塚治虫さんなど若い世代の活躍を羨ましく思う日々が続いたようです。

多才かつ人の頼みを断れない性格だったやなせたかしさんは、業界内で「困ったときのやなせさん」として知られ、様々な仕事を引き受けていたようです。

一方で創作活動以外の業務が苦手だったやなせたかしさんを支えるため、小松暢さんは経理や雑務などすべての実務を担当しました。

やなせたかしさん自身も「自分の仕事以外は、全部カミさんに頼っていた」と振り返り、時には散髪までしてもらっていたと語っています。

病気の際には、小松暢さんが自らの髪を短く切り、全力で看病する姿に「実にたよりがいがある」と深い感謝の気持ちを示しています。

夫婦で乗り越えた闘病生活  

小松暢さんが乳がんと診断された際、医師からは余命わずか3ヶ月という厳しい宣告を受けました。しかし予想を大きく覆し、実際には6年間の生活を送ることができました。

この医学的にも驚くべき闘病期間の延長には、夫婦間の絆と互いを思いやる姿勢があったと考えられています。やなせたかしさんと小松暢さんは病気に向き合う中で、二人で過ごす日々の瞬間を最優先として大切にしました。

一緒に困難を乗り越える姿勢と、お互いへの深い愛情が、医師の予測を超える結果をもたらしたのだと思います。

夫婦が心を一つにして病と向き合うことで、小松暢さんは当初の予想を20倍以上も上回る時間を生きることができました。

このことは、精神的な支えが病気との闘いにおいていかに重要であるかを表していると思います。

やなせ夫妻の絆  

ここまでみてきて、やなせ夫妻の間には固い絆があることがわかります。

お互いに支え合い、やなせたかしさんの創作活動を小松暢さんが全面的にサポートするという関係性の中で、独自の家族の形を築いていきました。

やなせたかしさんは「アンパンマン」というキャラクターを通じて、自分たち夫婦の思いを世に送り出すことになったのです。

まとめ

この記事では、NHK連続テレビ小説「あんぱん」に登場する朝田のぶのモデルとなった小松暢さんの死因や闘病生活、そしてその生涯や、やなせたかしさんとの出会い、二人の絆について詳しく紹介しました!

まとめ
  • NHK連続テレビ小説「あんぱん」に登場する朝田のぶのモデルとなった実在の人物は「小松暢」さん
  • 小松暢さんの死因は、乳がん治療に伴う頭部血管破裂。がんの放射線治療によるもの
  • 闘病中の小松暢さんは、自分の病状よりも夫・やなせたかしさんの将来を最優先に考えていた
  • 小松暢さんの夫は、国民的キャラクター『アンパンマン』の生みの親として広く知られるやなせたかしさん
  • 小松暢さんは、やなせたかしさんと結婚する前に一度結婚歴があった。
  • 小松暢さんとやなせたかしさんの間には子供がいませんでした。しかし、子供がいないことで二人の絆はむしろ一層深まったとも言われている。
  • やなせたかしさんと小松暢さん夫妻にとって、「アンパンマン」は実の子供のような存在だった。
  • 小松暢さんとやなせたかしさんの出会いは、まさに運命的なもので、やなせたかしさんの一目惚れだった。
  • 小松暢さんは、やなせたかしさんの漫画家としての人生を全面的に支えた。
  • 小松暢さんとやなせたかしさんの間には固い絆があり、「アンパンマン」というキャラクターを通じて自分達夫婦に思いを世に送りだすことになった。
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