【画像】ヒロミにやけど跡はある?ロケット花火事故の原因を徹底解説!

芸能界から一時離れた時期がありながら、今ではバラエティなどで活躍を続けているヒロミ。

事故当時のヒロミは、ミスターちん、デビット伊東とB21スペシャルを結成しており、当時はダウンタウンやウッチャンナンチャンに次ぐ勢いで注目を集める芸人グループとして知られていました。

事故は1991年8月、フジテレビ系の深夜番組『1or8(ワンオアエイト)』という命がけの危険な企画で視聴者の心をつかんでいた人気番組の収録中に起こりました。

この記事では、ヒロミのやけど跡やそのやけどの状態について。そして、そのロケット花火事故と治療中の秘話についてリサーチしてみました!

この記事でわかること
  • ヒロミのやけど跡について
  • 事故直後のやけどの状態について
  • 入院中の様子について
  • 当時の番組企画ロケット花火の詳細
  • ロケット花火事故がおこった経緯
  • ロケット花火事故からわかるヒロミの人物像
目次

ヒロミのやけど跡の画像はある?

ヒロミの火傷についての画像を調べてみましたが、確認することは出来ませんでした。

しかし、2013年10月6日に放送された「ボクらの時代」の中で、ヒロミが昔ロケ中に大火傷を負ったがそのやけど跡は今とても綺麗に治っていると、木梨憲武と藤井フミヤが言っていたようです。

耐火対策のためカーレーサーのスーツを着込んでいましたが、お尻から両足の後ろ側にかけて重度のヤケドを負っており、一部は皮下組織にまで達し、黒焦げになっていたということです。火傷のほとんどは足であったとのこと。

生死の境をさまよう中、ヒロミは太ももの皮膚をヤケド部分に移植する手術を受けました。

では、そのやけどの状態はどんな状態だったのか?について調べてみました。


ヒロミのやけどはどんな状態だったのか?

火傷のステージは最も重度なIII度。体の25%、4分の1が燃えたそうです。

そこで、ヒロミの火傷のステージは最も重度なIII度ということですので、火傷について記載のあるサイトで調べてみました。

重症度はやけどの深さ範囲によって決まる。熱によって障害を受けた部分が深いほど、そして範囲が広いほど重症。

皮膚にはある程度の厚みがあり、上から表皮、真皮、皮下脂肪組に分かれている。やけどの深さを表す分類方法は、上からⅠ度Ⅱ度Ⅲ度という表現をする。

この皮膚の層のどこまでを損傷したのかによって、やけどの症状治療の緊急性、そしてその後の治療方法後遺症が大きく変わってくる。
引用元:medicalnoteやけどの種類・重症度

Ⅲ度熱傷は真皮すべて損傷を受け、さらに皮下組織にまでや障害が及んでいる状態とのこと。

このことから、ヒロミの火傷の症状がどれだけ酷かったのかがわかります。

ヒロミのロケット花火事故の原因は強風だった

前述の通り、事故は1991年8月、フジテレビ系の深夜番組『1or8(ワンオアエイト)』という人気番組の収録中に起こりました。

この収録中に、予期せぬ強風にあおられ、彼の周りは一気に炎と煙に包まれてしまいました。

では、その当時事故に至るまでの経緯や状況についてみていきます。

ロケット花火企画について

当時、フジテレビ系の深夜番組『1or8(ワンオアエイト)』という人気番組では、無人島生活や、エアマットを使った川での冒険、廃墟となった病院での一夜など、笑いを誘う過激な挑戦を繰り広げていましたが、それまで実際に危険な企画に挑戦するのはミスターちんとデビットの2人だけでした。

企画を提案するばかりで自身は参加しないヒロミに対する視聴者の不満が高まっていく中、ついにヒロミも挑戦を決意します。しかし、その初めての挑戦が、思わぬ事態を引き起こすことになったのです。

その初めての挑戦が、「ロケット花火を背負って月に行く」という無謀な企画のチャレンジでした。

事故がおこった原因や経緯

放送で予告されていた企画を一目見ようと、ロケ先である九十九里海岸に大勢の観客が詰めかける中、ヒロミは棒状の発射台に体を固定していました。

耐火性の優れたカーレーサー用のスーツを着用し、背中に装着された約10000発のロケット花火に火が点されたその瞬間、予期せぬ強風にあおられ、彼の周りは一気に炎と煙に包まれてしまいました。

火の勢いが酷くなり、撮影スタッフが避難してしまうほどで現場は大混乱しました。

ヒロミは「熱い!熱い!」と叫んで倒れ、そのまま起き上がれない状態だったということです。すぐさま待機していた消火器で鎮火されたものの、企画はもちろん中断となり、当時NHKを始め、各局がニュースで取り上げるほどの大惨事となってしまったのです。

ロケット花火事故からわかるヒロミの人物像

この痛ましい事故は、ヒロミにとって人生の分岐点となる出来事となりました。

事故直後のヒロミの対応や発言から、彼の性格や何を大切に思っているのかが伝わってきます。

ヒロミの人物像
  • 自分の体調よりも、まず番組や関係者への影響を考えていることから、仕事に対する強い使命感を持っている。
  • 「迷惑がかかる」ということを真っ先に心配していることから、周りへの影響を常に意識している性格。
  • 番組の「存続への不安」を抱いているということは、その番組を大切に思っている証拠。
  • 自身の身体よりも仕事や周囲への影響を優先していることから、自分を後回しにする傾向がある。

では、事故直後から入院・治療中、そして退院後から現在までの秘話についてお伝えします。

事故直後

ヒロミは事故のとき番組中止を懸念して救急車を呼ばないほどプロ意識を持っていた!

事故当時、耐熱性のあるカーレーサー用スーツを着用していたため、外見からは分からなかったものの、スーツの内側では1000度を超える熱が身体に及んでいたそうです。

スタッフから救急車の手配について話しがあった際、ヒロミは自身の体のことよりも、番組に迷惑がかかる、番組の存続への不安をまず抱いたということです。

しかし、自身の体の異常を感じていたので結果的に救急搬送を受け入れることとなりました。

入院・治療中の様子

入院中、病室を訪れた父親にヒロミは「この事故に遭ったのが、デビットやミスターちんではなく、自分が負って良かった」と心境を打ち明けたそうです。

自身が深刻な状態にありながらも、仲間を思いやるその言葉には、人としての温かさや優しさ、深さが表れていますね。

太ももの皮膚をヤケド部分に移植する手術を行うなどして、2ヶ月以上に渡って入院しました。

ヒロミの両親は、息子を助けたい一心で執刀できる医者を見つけ、搬送から12時間後に手術を受けることができました。

その長期間の入院中、ヒロミは芸能界引退を考えていて、限られた人にしかお見舞いを許可していませんでした。

現在のように、携帯電話もない時代ですぐに連絡が取れません。友人の木梨憲武が見舞いに来た際、当時ヒロミと親しかった松本伊代のことを心配していました。

その後、松本伊代も見舞いに来ましたが、ヒロミは木梨が連れてきたと思っていました。しかし実際は、伊代が自分で病院を探して訪ねてきたことを、何十年も経ってから知ったそうです。

リハビリもかなり頑張ったと語っています。それは、もう芸能界には戻れないかもしれないのでハワイでコーディネーターでもしようかという考えからでもあったようです。

また、入院中は、病室でドラマ撮影を依頼されて痛みに耐えて撮影に挑みました。

手術後は順調に回復し、約3ヵ月後の11月1日には完全復帰を果たしました。

入院中の不思議体験

ヒロミは、通常では説明のつかない不可思議な出来事を語っています。

その一つは、自分の体が上空に浮かんでいるような感覚で、お見舞いに訪れた方々を天井から見下ろすような体験をしたとのことです。意識が回復した際には、現実の状況ドッキリではないかと疑ったほどだったそうです。

さらに、病室内では不思議な光景も目撃したといいます。母娘と思われる女性二人が交わす会話が聞こえてきたという体験や、病室の入口で1ヶ月もの間、牛乳を飲み続ける男性の姿を目撃したということです。

しかし、後になって判明したことですが、この病棟は無菌室であり、実際には牛乳を飲む人物が存在するはずのない場所だったにもかかわらず、はっきりとその姿が見えていたと証言しています。

退院後~現在の様子

入院から約2ヶ月半後、病院前での報道陣の取材に応じて退院を発表しました。

しかしその後「実は完治していなかった。ただ、入院生活から抜け出したくて、自分から退院を希望した」という本当の状況を語っています。

松本伊代とヒロミの関係について、当時を振り返りヒロミは「付き合っていたとも言えるし、微妙な関係だった」と曖昧な回答をしています。その後正式な交際宣言もないまま自然に発展していきました。伊代は、ヒロミの事故と入院がなければ、二人の結婚は実現しなかったかもしれないと振り返っています。

入院中はあまり見舞えなかったものの、退院後の自宅療養中にヒロミの看病をしているうちに、自然と結婚を意識するようになっていったとのことです。

また、この事故が番組に与えた影響を重く受け止めて、ヒロミは所属していた事務所からの独立を決意することとなったのです。

現在、様々な趣味を持つことで知られるヒロミですが、その趣味であるジェットスキーやスキューバダイビング、クレー射撃、トライアスロンなどは、実は治療後のリハビリテーション目的がきっかけとなっていました。

2023年8月27日放送された日本テレビ系毎夏恒例『24時間テレビ46』内では、チャリティーマラソンの102.3キロを完走しています。家族の絆を感じさせるチャリティマラソンとなりました。

火傷という大きな苦痛と困難を乗り越え、102.3キロものマラソンを完走されたことは、素晴らしい回復力と精神力を表していると思います。

現在では、リフォームでも「八王子リホーム」として話題になり、テレビ番組で多才を発揮し大活躍されています。

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まとめ

この記事では、ヒロミがバラエティ番組でのロケット花火事故で負ったやけど跡とやけどの状態について、その事故の詳細、また事故後から現在に至るまでの状況をリサーチしてみました。

まとめ
  • ヒロミが負ったやけど跡の画像はないが、やけど跡は今は綺麗になっているとも言われている。
  • ヒロミが負った火傷のステージは最も重度なIII度。太ももの皮膚をヤケド部分に移植する手術を受けた。
  • 事故は1991年8月、フジテレビ系の深夜番組『1or8(ワンオアエイト)』という人気番組の収録中におこった。
  • その事故は番組内の「ロケット花火を背負って月に行く」という無謀な企画内で発生した。
  • 耐火性の優れたカーレーサー用のスーツを着用し、背中に約6000発のロケット花火を装着して、棒状の発射台に体を固定していた。
  • 火が点火された瞬間、予期せぬ強風にあおられ、ヒロミの周りは一気に炎と煙に包まれてしまった。
  • ヒロミ自身、入院中深刻な状態にありながらも、「事故に遭ったのが自分で良かった」と仲間を思いやる言葉を発していた。
  • 妻の松本伊代との結婚も、このロケット花火事故がきっかけの1つでもあると語っている。
  • 趣味であるジェットスキーやスキューバダイビング、クレー射撃、トライアスロンなどは、実は治療後のリハビリテーションの一環がきっかけで始めた。
  • 2023年8月27日には、チャリティマラソン102.3キロを家族に支えられ完走しており、過去の事故を思い起こさせることなく活躍している。
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