金光修の経歴を徹底調査!百貨店社員から中途入社でFMH社長までの軌跡!

フジ・メディア・ホールディングス代表取締役社長、フジテレビジョン取締役である、金光修氏。

メディア業界のトップに座にいる金光修社長ですが、元々は大学卒業後、西部百貨店に入社しました。

そこから、どのようにして、またどのような環境や経験を経て今現在の姿にあるのかを徹底調査しました。

この記事でわかること
  • 金光修の経歴
  • 西武百貨店時代からフジテレビ入社後について
  • 金光修氏の著書について
目次

金光修のプロフィール

フジ・メディア・ホールディングス代表取締役社長、フジテレビジョン取締役である、金光修氏のプロフィールからみていきましょう。

プロフィール
  • 誕生日:1954年10月28日
  • 東京・練馬の石神井で生まれ育つ。高校1年生の時町田に引っ越し。
  • 早稲田大学第一文学部卒業
  • 1978年西武百貨店に入社
  • 1983年4月、西武百貨店からフジテレビジョンに中途入社
  • ビーエスフジ編成局長やフジ・メディア・ホールディングス(FMH)の経営企画局長、執行役員、常務、専務を経て、2019年からFMH社長に就任
  • 2021年からはフジテレビ社長も兼任
  • 2022年6月、フジテレビ社長を港浩一氏に譲り、FMH社長に専念。フジテレビには取締役として留任

西武百貨店に入社してから、フジ・メディア・ホールディングス(FMH)の社長に就任するとはすごい経歴の持ち主ですね。

では、金光修氏の経歴について詳しくみていきましょう。

金光修の経歴

西武百貨店に入社から現在に至るまでの経歴を調べてみました。

・1978年(昭53)に西部百貨店に入社。マーケティングを担当。
・1983年4月フジテレビに中途入社。その後、人気番組をいくつも手掛ける。
・2019年からフジ・メディア・ホールディングス(FMH)社長に就任。2021年からはフジテレビ社長も兼任。

それでは、詳しくみていきましょう。

西武百貨店時代

早大を卒業して1978年(昭53)に西武百貨店に入社しました。

その当時は、バブル前夜、「渋谷パルコ文化」全盛時代。金光修氏はマーケティングを担当していたとのことです。

西武デパートの壁に、コピーライター糸井重里さんの「おいしい生活」の大きな文字が掲げられていたとのこと。西武の5年間は本当に面白かったと語っています。当時、『おいしい生活』の企画コンセプトを任されたとのことです。

また、西武百貨店が元気な頃、DC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドを集めたSEED館などの開業に携わったようです。

過去インタビューで次のように語っています。

おしゃれに興味を持ちだしたのは小学生の時。「小学校3、4年ぐらいから、もう自分で池袋、それこそ西武だとかに、よく買いに行ってましたね。」

おしゃれに興味のある小学生だったんですね!

入社から5年後に偶然、フジテレビの中途採用を知り、転職しました。

フジテレビ入社後

1983年4月フジテレビに中途入社後、人気番組をいくつも手掛けることになります。

入社後、希望は番組企画でしたが、イベントを担当する配属先では地方の演歌ショーなどを手掛けることをしていました。しかし、過去インタビューでは「本意ではなかった」と語っています。

その後、オンラインで音楽イベントのチケットなどを販売する「チケットセンター」の設立に関わりました。

「チケットセンター」の立ち上げ業務の合間に、映画好きな同僚と映画制作の話で盛り上がったそうです。当時、ホイチョイ・プロダクションに企画を持ちかけ、有志で87年に「私をスキーに連れてって」を生み出したとのこと。担当部署を無視した行動に映画部門から怒られたようですが、フジテレビの「おもしろいからやってみろ」の一言で許可が下り、大ヒットを果たしたのです。

1989年に念願の編成部に異動します。上司から「料理番組を立ち上げろ」と命じられたとのこと。

当時の料理番組は「キューピー3分クッキング」やNHK「きょうの料理」が主流でした。そこで、名料理人と挑戦者が腕前を競う「料理の鉄人」を企画したのです。

しばらくは視聴率も取れませんでした。そこでゲストシェフが1人の鉄人を選んで対決する内容に変更。視聴率が上がり人気番組になり、エミー賞にノミネートされるなど海外でも大人気の番組となったとのことです。

他にも担当として「カノッサの屈辱」「カルトQ」「ワーズワースの庭で」「バナナチップスラブ」「ラスタとんねるず」などの番組を手掛けていきました。

フジテレビ社長就任後

2019年からフジ・メディア・ホールディングス(FMH)社長に就任。2021年からはフジテレビ社長も兼任しました。

2021年4月、 FMHが放送法の外資規制に違反していた問題で、金光修社長は衆院総務委員会に参考人として出席し、「多くの方々にご心配をおかけしたことを深くおわび申し上げます」と謝罪しました。

2021年11月、社員構成の課題を説明し、社内において大規模な希望退職を募り、経営合理化に努めたとのことです。

50歳以上の高齢者が多く、若年層が少ない逆ピラミッド型組織のため、50げん歳以上の社員向けにセカンドキャリア支援として通常の退職金に加えて優遇措置を用意しました。

同時に、若年層を増やすため中途採用も実施する方針を明らかにしたとのことです。

百貨店社員からの転職でメディア業界のトップに上りつめ、現場から経営全てを網羅された方なのですね。

金光修氏の著書

金光修氏はメディア業界のトップであり、フジテレビ社長を務める傍ら、その豊富な経験を著書に込めました。

多才さが伺えますね。

著書
  • あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since1965
  • 東京ビートポップス~音楽も街も人もワクワクしていたあの頃

【東京ビートポップス~音楽も街も人もワクワクしていたあの頃】について調べてみました。

1960年代以降の音楽を中心に、東京の街の思い出とともに2010年に綴ったエッセイ&コラム集です。

著者の前書きには次のように書いてあります。

「私は、子どもの頃から目の前にある音楽を手当たり次第、節操無く聴いてきた。1960年代以降の東京は、映画だって音楽だってファッションだって、好奇心のおもむくまま突き進んでいけば楽しみを十分に与えてくれる場所だった……音楽も同様で、AMラジオにFMラジオを加え、世界のヒット曲がタイム・ラグなしに二十四時間聴くことが出来た。特に東京では地上波テレビ局の数が、NHKと民放と併せて7チャンネルもあり世界で最も恵まれたテレビ環境が整っていた。このラジオとテレビを通して、ずっと音楽を楽しんできた……そんな私が、東京という街で体験し感じてきたことについて、音楽を中心にして文章に書き記したのが本書である。同時代を知る人も知らない人にも、興味を持ってもらえたら幸いです」

引用元:東京ビートポップス 音楽も街も人もワクワクしてたあの頃

音楽とファッションが大好きな少年だったのですね。文書に書き記すほどに音楽に対して思い入れもあるのでしょう。

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まとめ

この記事では、金光修の経歴、西武百貨店時代、フジテレビ入社後、また金光修氏の著書について調べてみました。

まとめ
  • 1978年西武百貨店に入社。1983年4月、西武百貨店からフジテレビジョンに中途入社
  • 西武百貨店時代は、マーケティングを担当していた
  • フジテレビ入社後、人気番組をいくつも手掛けることになった
  • 2019年からフジ・メディア・ホールディングス(FMH)社長に就任。2021年からはフジテレビ社長も兼任
  • 金光修氏は豊富な経験を著書に込め2つ作品を書き記している
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