目加田美桜の経歴と学歴!大阪教育大学卒で現在はアナウンサー!

2025年2月15日(土)、『史上最強!歴代王者VS新世代ピアノTEPPEN 30回記念大会』

その中で、若手フリーアナウンサーの目加田美桜(めかたみお)さんが挑戦されています。

「この人は誰?」と思った方もいるのではないでしょうか?

ピアノ歴20年以上である目加田美桜さんのピアノ歴、経歴や学歴、またアナウンサーになったきかっけも調べてみました!

目次

目加田美桜のピアノ経歴

目加田美桜さんは、大分県佐伯市のケーブルテレビアナウンサーを経て、現在フリーアナウンサーとして活躍されています。

FM三重にレギュラー出演中で、ピアノの腕前を活かした音楽活動もされています。

ではまず、目加田美桜さんのプロフィールについてまとめてみました。

目加田美桜のプロフィール

とても笑顔が可愛らしい方ですね!

プロフィール
  • 生年月日:1998年4月27日
  • 出身地:三重県名張市
  • 特技:ピアノ・ハンドボール・バトミントン
  • 4歳の頃からピアノを始め、大阪教育大学音楽表現コース専攻卒業。
  • 大分県佐伯市のケーブルテレビ局にてアナウンサーとして勤め、当時は生放送のニュース番組を担当。その後、松竹芸能に所属しフリーアナウンサーとなる。
  • FM三重のモーニング番組「Pick up On Mie~POMie!( ポミー)~」にレギュラー出演中(木・金)

音楽大学卒業し、松竹芸能所属しフリーアナウンサーとなり、テレビ番組にも出演されている多才な目加田美桜さんの経歴ピアノ経歴について詳しくみていきましょう!

目加田美桜の経歴①FM三重やテレビ番組での活躍

FM三重では、番組の企画段階から取材依頼や交渉を行い、台本も自ら執筆するなど、番組制作の様々な面を担当しているようです。

三重県内のグルメを紹介する番組の企画で、取材依頼のみならず実際に取材する側としてインタビューもされています。

テレビ番組の司会者としても活動の場を広げていて、芸能事務所を通じて新しい仕事にも挑戦を続けていると語っています。

三重県の志摩市公式YouTubeチャンネルや、ケーブルテレビ地上デジタル放送123チャンネルで、志摩市の市長と令和6年度の施政方針について話されたりもしています。

ラジオDJの仕事は、マイクの前で話すだけではなく、番組制作から携わっていますし、テレビ番組ではジャンルを問わず様々なMCもされています。

彼女の多才さが伝わってきますね!

目加田美桜の経歴②ピアノ経歴のエピソード4選

音楽活動では、今年(2025年)2月には亀山市にてピアノのソロリサイタルを実施されました。

その他にも、ピアノのテレビ番組での出演など活躍されています。

ピアノ自体は3歳上のお姉さんが先に習っていて、4歳からピアノを学び続けてきたそうです。

幼い頃のエピソード
  • 小学生の頃は毎日3時間ほどピアノの練習をしていた。(1日ピアノに触れないと腕前が1週間戻ってしまうと思っていた。ただし、中学・高校の頃は運動部に入りたいという憧れがあったのでピアノは週1回の練習だった)
  • 毎年必ずコンクールの出るので、あまり遊ぶ時間はなかった。

高校時代、プロのピアニストとの出会いが人生の転機となったとのこと。

運よくレッスンを受けることが出来て、住む世界が違う!というほどの演奏を目の当たりしたようです。

芸術表現を通じて生きるその生き方に深く影響を受け、自身もピアニストの道を志すようになったと語っています。

その思いを実現するため、大阪教育大学ではピアノ専攻を選択。さらに高みを目指して大学院への進学も考えていたようですが、大学1年の時に父との死別という試練に直面されました。

音楽大学を目指すまでのエピソード
  • 周りからは音楽大学を目指すことに大反対された。
  • 音楽大学の試験は、演奏の知識を問うための内容や、聴音という聴いた音を楽譜に起こすことがあるが、メインは実技。その為に、1年間はコンクールにもたくさん出た。

その後、無事音楽大学に合格されました。しかし、入学してからは周りとの実力差を感じていたようです。

音楽大学で大変だったエピソード
  • 自分の演奏以外にも他の楽器の伴奏やアンサンブルの練習もする必要があった。
  • テストは複数の曲を弾く必要があった。
  • 試験で順位がつくので、思うような順位や点数でない時あった。

そんな状況で、心が折れそうになったこともあったようです。

そんな時に支えてくれたのが、父親だったと語っています。

父親とのエピソード
  • 音楽大学へ進学することに反対していた父親は、大学1年生の時に病気で亡くなられた。
  • そんな父親と最後に話したのがピアノを練習している時。「せっかく入学したのだから最後までやり切れ。」という声をかけてくれた。
  • その父親の言葉が、諦めずにやらなきゃいけないという気持ちにさせてくれた。

その後、経済的な事情もあり、大学院進学の夢は諦めざるを得なかったようです。

小学生で毎日3時間もの練習時間を確保していたというのが揺るぎない意志の強さの表れでもありますね!
周囲からの反対を乗り越えて音楽大学を目指したという経験は、かなりの決意と覚悟があったことがわかりますね!

目加田美桜の学歴

目加田美桜さんの出身高校は三重県立津高等学校です。

三重県内有数の進学校であり、中学・高校の時はハンドボール部やバトミントン部の運動部に所属していたようです。

出身大学は大阪教育大学音楽表現コース(ピアノです。

大学で中学校・高校の音楽の教員免許を取得されています。

中学生の頃、職場体験に参加した際、取材活動や記事の執筆、名刺の制作など、報道の現場で必要とされる実践的な仕事を体験。体験後の感想では、「正確な言葉選びを通じて、より多くの事実を伝えることの重要性」や「取材現場の雰囲気や状況を正確に読者に届けることの大切さ」について記載されたようです。

中学生の頃から、現在のアナウンサーに繋がる意識を持たれていたのではないかと思われますね!

大分県佐伯市のケーブルテレビを退職後には、音楽の都・ウィーン(オーストリア)へ短期留学し、ウィーン国立音楽大学マスタークラス修了。

音楽や自分自身と向き合う時間を過ごされたとのことです。

目加田美桜のアナウンサーになったきっかけ

目加田美桜さんは、人々に希望や元気を届けられる職業に憧れ、アナウンサーの道を選ばれたようです。

キャリアをスタートさせた大分県佐伯市のケーブルテレビ局での経験を経て、さらなる可能性を追求したい思いと音楽への情熱から、フリーアナウンサーとして新たな一歩を踏み出すことを決意されました。

目加田美桜が考えるアナウンサーという職業の魅力

アナウンサーという職業の魅力について、次のように語っています。

様々な分野のプロフェッショナルとの対話を通じて常に新しい発見があり、自身の世界観も豊かになっていく

きっと、自分の成長が具体的な形となって現れるので、達成感を実感しやすいと感じているのかもしれませんね!

また、年代や性別を問わず多くの方々との出会いを通じて、一人一人がそれぞれの人生観や経験を持っていることを実感されているようです。

これからも「対話」を大切にしながら、人々との繋がりを深めていきたいと考えているとも語っています。

目加田美桜が考えるアナウンサーとしての今後の夢

目加田美桜さんはアナウンサーとして、活躍の場を広げること、そして地域への貢献も考えているようです。

キャリアの拡大

全国規模での活動を視野に入れながら、特に音楽関連の番組やイベントでの司会、そして自身の演奏活動など、表現者としての活動の幅を広げていきたいと考えている。

地域への貢献

三重県出身のタレントとして全国放送のラジオ番組で故郷のPRを担当した経験を活かし、今後も三重県や名張市の魅力を発信し、地域の活性化に貢献していきたい。

まとめ

この記事では、目加田美桜さんのピアノ経歴と学歴、そしてアナウンサーになったきっかけについて調べてみました。

まとめ
  • 大分県佐伯市のケーブルテレビアナウンサーを経て、現在フリーアナウンサーとして活躍。松竹芸能に所属
  • FM三重にレギュラー出演中で、ピアノの腕前を活かした音楽活動もされている。
  • FM三重では、番組の企画段階から取材依頼や交渉、台本も自ら執筆するなど、番組制作の様々な面を担当。
  • 様々なピアノのテレビ番組での出演などでも活躍。
  • 4歳からピアノを学び続けてきた。
  • 高校時代、あるプロのピアニストとの出会いが人生の転機となり音楽大学大阪教育大学音楽表現コース(ピアノに入学。
  • 今後、フリーアナウンサーとして、活躍の場を広げること、そして地域への貢献も考えている。
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