車いすテニス男子世界最年少金メダリストでプロとして活躍している小田凱人(ときと)選手。
強いメンタルや逆境に立ち向かう強さを持ち、自分を信じて努力を続け、常に向上心を持ち続けているアスリート。
小田選手自身のちに、両親から受けた影響も大きいと語っています。
一体どんな生い立ちや両親、姉弟でどのように育てられたのか?どのような環境に身を置いているのか?について解説します。
小田凱人のプロフィール
はじめに、プロフィールを簡単にご紹介します!
- 生年月日:2006年5月8日(18歳)
- 出身地:愛知県一宮市
- 病気:悪性骨肉腫
- 競技:車いすテニス
- 特徴: メンタルの強さと技術力が高く評価されており、日本の車いすテニス界を代表する選手の一人
小田凱人の両親の職業は?何をしてる人?
まずご両親の職業や年収は一体どのくらいなのか色々調べてみましたが
職業や年収、また年齢は明かされていません。
オリンピック選手を育成するには、非常に高額な費用がかかります。専門コーチの指導などトレーニング費用、栄養管理や医療費もかかるでしょう。競技用具やまたその交換や修理費もかかります。遠征・大会参加費用もいりますね。
一人のオリンピック選手を育成するには、年間1,000万円以上かかるともいわれています。
小田選手は日常では車いすを使わないこともあるようですが、テニスの練習には車いすの移動も必要ですし、周りやご両親のサポートがあっての現在があります。
両親の役割は単なる経済的なことだけではなく、子供の人格や生活面全般での成長を支える重要な存在ですよね。
では、そのご両親のサポートについて調べてみました。
小田凱人は両親からどのようなサポートを受けていたのか?
小田選手は9歳の時「骨肉腫」を患いましたが、ご両親の大きな支えと想いがあり、パラリンピックの舞台で金メダリストを獲得しました。
息子へのサポートは私達の想像を超えるほどに大変なこともあったと思います。
ここでは、ご両親のサポートについて詳しく紹介していこうと思います。
- 父親は、公園で毎日練習に付き添ってくれたそうです。
- 母親は、日常のサポートのみならず、テニスに打ち込める環境を家庭の中にも作ってくれたようです。
小田凱人の父親のサポート
小田選手は、ロンドンパラリンピックの動画に影響され、お年玉でラケットを購入。退院後わずか2~3日で練習を開始し、その日々の公園での練習に父親が毎日付き添ってくれたとのことです。
父親が会社員であったとしても、仕事終わりに毎日練習に付き添うことは決して容易なことではありません。
9歳で病気を発症し、それまでサッカーに打ち込んでいた小田選手の人生が大きく変わりました。
入院中、主治医に「車いすでもバスケやテニスの競技ができる」と伝えられ、多くの競技の中からテニスに情熱を捧げることになります。
岐阜県にてレッスンを受けることになるのですが、入院中にテニスをする環境を探して見つけてくれたことにもご両親の想いが感じられます。
全力で応援しようとしているご両親の想いが伝わってきますね。
そこには子供への無条件の愛と、その成長を最大限にサポートしたいという強い願いがあったのでしょう。
また、小田選手の父親の趣味は、ギターだそうです。
テニスの試合で勝つと小田選手はエアギターをするのですが、それも父親の影響があるのかもしれませんね。
小田凱人の母親のサポート
小田選手の成長は、母親の直子さんの献身と愛情によって支えられてきました。
病気を発症した息子に対して、母親は家庭との両立が難しい中で、サポートに全力を注いできました。
インタビューで「楽しみを増やしてあげることぐらいしか、できなかったので…。」と語った言葉からは、母親としての愛情が伝わってきます。
当時の状況は決して簡単ではなかったと思います。
息子の日常生活をサポートし、テニスに打ち込める環境を家庭内に作り、練習の送迎までこなすことは、並大抵のことではないと考えます。
このように、母親の献身的なサポートこそが、小田選手が逆境に負けず、夢に向かって進み続けることができた理由でもあるのでしょう。
子供の夢や成長を支えるために、自分の時間と労力を惜しみなく捧げる母親の深い愛情を感じます。
たとえ疲れていても、子供の可能性を信じて、献身的にサポートする気持ちが根底にあるのだと思います。
小田凱人は3人姉弟の真ん中
小田選手には姉と弟がいるそうです。
【姉のプロフィール】
名前:不明
年齢:不明
【弟のプロフィール】
名前:桃次郎
年齢:14歳(2024年現在)
お姉さんについての情報はないのですが、仲の良い姉弟関係だそうです。
小田選手のお姉さんとなると、きっと美人な方なのかなと想像できますね。
弟の桃次郎君は、小田選手の4歳年下です。
サッカー少年とのこと。
弟もスポーツ少年で、FCフェルボール愛知U12所属しておりJA全農杯全国小学生サッカー大会in東海にて優勝した事を一宮市スポーツ表彰式にて表彰されました。
また自宅に卓球台があり、家族みんなで卓球をしていたこともあるようです。
小田選手が大会で成績を残すと、弟は学校で嬉しそうに報告しているようです。
自慢の兄のようですね!
小田凱人の生い立ちと家族のエピソード
小田選手の生い立ちと家族のエピソードは、苦難と喜びもあり、家族の絆に溢れています。
次に、小田選手の生い立ちと家族のエピソードについて紹介していきます。
小田凱人の幼少期~小学生時代
小田選手は2006年5月8日に愛知県一宮市で生まれました。
幼少期からサッカーをしており、その当時の夢はプロサッカー選手だったそうです。
運動神経が抜群で将来有望な少年だったとのこと。
本田圭佑選手などに憧れ本気でサッカー選手になることを夢みて練習に励んでいたようです。
小学校3年生の9歳の時、運動会のリレーに出た後、股関節付近に激痛が走り病院を受診。
それまでにも、左足に違和感はあったそうです。
検査の結果、左股関節の『悪生骨肉腫』という診断でした。手術の後、車いす生活となります。
プロサッカー選手として夢みていた日常から、一変しました。
その後、11歳と13歳にがんが肺へ転移。壮絶な闘病生活を送ります。
その当時の小田選手本人の気持ちや家族の気持ちを考えると、どれだけショックで絶望的な心境だっただろうと思います。
悪性骨肉腫とは・・・
がん細胞が増殖して骨をつくってしまう悪性腫瘍のこと。骨にできるがんと誤解されがちですが、そうではなく膝関節の周囲や肩の近くにできることが多いですが、骨以外の部分にもできます。骨になる細胞が活発に分裂する時、つまり成長期に起きやすいため、患者は10代が中心です。日本全国で1年間に200人弱が診断されるまれながんです。
小田凱人がテニスを始めたキッカケ
小田選手は、スポーツをしたいと入院していた当時の主治医に伝えたところ
「車いすでもバスケやテニスの競技ができる」
と教えられたそうです。
色々な競技がある中でテニスをしたいと思い、ロンドンパラリンピックの動画を観てテニスをしようと決めました。
車いすテニス界のレジェンドの国枝慎吾選手のプレーに夢中になったとの事です。
小学4年生(10歳)の頃、ラケットを持ちながら寝ていたこともあったそうです。
岐阜県にある「クアードクラス」という手に障害があるクラスに車いすテニス日本代表の諸石選手が当時子供向けのレッスンをされていてそこで練習することになります。
そして、最初にきっかけを与えたこの担当医との出会いがなければ小田選手は誕生しなかったかもしれませんね。
小田選手はインタビューでこう答えています。
「病気になって治療をした時傷口が痛かったというのはあったけど、辛かったというのはなかった。」
「置かれた環境、立場を受け入れながら、新たな楽しみをみつける。」
「テニスに救われた。」と・・・
小田選手はご両親や周りの方々の想いや考え、愛情をたくさん受け止め、それが強さに現れているのだと思います。
小田凱人の選手経歴
元々運動神経抜群の小田選手は、その後飛躍的な成長を遂げていきます。
中学1年の時、初めて国際大会に挑みました。その舞台がオランダでした。
13歳で初めての海外遠征。英語も喋れない中でも、とりあえず楽しかった思い出しかないと語っています。
同じ世代、同じ境遇、同じ志を分かち合う仲間との時間はかけがえのないもの、刺激を受けたようです。
その2020年に開催されたジュニアマスターズの国際大会で優勝。それが、小田選手の自信になったとのことです。次は世界1を目指すという目標が出来ました。
2021年4月(当時中学3年)の頃には、ITF車いすテニスジュニアランキングで史上最年少で世界大会ランキング1位を獲得し、当時すごい選手が現れたと話題になったそうです。
・2022年5月の全仏オープンでは16歳23日でのグランドスラム史上最年少出場を達成しベスト4入り。
・2023年1月には全豪オープンで準優勝。
・2023年6月の全仏オープンでは史上最年少優勝。
・2023年7月に開催された全英オープンでも連続優勝。
・2024年1月の全豪オープンも全試合ストレート勝ちで優勝。
・2024年パリパラリンピック 男子シングルス金メダル。
小田凱人の父親の想い
小田選手は父親から「弱さを見せない強い精神」を学んだと語っています。
小田選手は親から「お前ならいける」といつも言われていたようです。勝負に負けるという事には親はうるさかったとインタビューで答えています。
父親から、『どんなに障害があろうと「辛い」という言葉を使わない』ということも教わったとのこと。
小田選手自身、【人生は我慢比べ】と思っている、「強くいるには強がるしかない」と話しています。
父親の「辛抱強さ」が影響していると、本人も話しています。
父親から学んだという「弱さを見せない強い精神」は、困難な状況や挑戦に直面しても、内なる強さを持ち、外見上は動揺や弱さを見せないことを父親は小田選手に伝えたかったのかもしれません。
小田凱人の母親の想い
小田選手は母親から「勝つことへのこだわり」を学んだと語っています。
また小田選手の母親も勝負に厳しかったとインタビューで答えています。
小学1年生の時の長距離走で最後のカーブで抜かされて2位になった時はかなり強く母親から言われたようですが、逆に1位になった時はすごく褒めてくれたようです。
その影響が、小田選手の『勝負に負けることはカッコよくないこと』という意識に繋がり、現在も負けることに抵抗があるようです。
小田選手自身、母親の「我慢強さ」が影響していると語っています。
母親から学んだという「勝つことへのこだわり」は、小田選手が病気に打ち勝ったこともそうですが、スポーツや人生において重要な考えであり、大切な原動力となることを母親は伝えたかったのではないでしょうか。
まとめ
本記事では、小田選手の生い立ちやご両親、姉弟について解説しました。
小田選手はご両親や家族の大きな愛情と心の持ち方、献身的なサポートがあっての現在があることがわかりました。
以下が本記事のまとめです。
- 小田選手は2006年5月8日に愛知県一宮市出身。
- 9歳の時、悪性骨肉腫発症。闘病後、担当医のひと言でテニスを始めた。
- 両親の職業や年収、また年齢は明かされていません。
- 父親は毎日公園での練習に付き添っていました。
- 父親から学んだのは「弱さを見せない強い精神」
- 小田選手の母親の名前は直子さん。
- 母親から学んだのは「勝つことへのこだわり」
- 小田選手には姉と4歳下の弟がいます。
- 小田選手のこれまでの車いすテニス大会では、世界トップクラスの素晴らしい成績である。
- 小田選手はご両親の想いや考え、愛情をたくさん受け止め、それが強さに現れている。
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