2025年1月24日(日本時間25日)大リーグのワシントン・ナショナルズは、中日ドラゴンズからポスティングされた小笠原慎之介投手と2年契約で合意したことを発表しました。
その小笠原慎之介投手の高校時代の活躍は歴史に残る素晴らしいものでした。
その高校時代の活躍や甲子園での秘話を徹底調査しました。
- 小笠原慎之介投手のプロフィール
- 小笠原慎之介投手の高校野球時代
- 甲子園での活躍からプロ入りまで
小笠原慎之介投手のプロフィール
小笠原慎之介投手のプロフィールについて見ていきます。
ワシントン・ナショナルズの公式で正式に紹介されていますね!
- 生年月日:1997年10月8日
- 出身地: 神奈川県藤沢市
- 身長:180cm
- 左投左打の投手
- 兄弟姉妹 :小笠原智一(兵庫ブレイバーズに所属していた投手)
- 東海大相模高校出身
- 少年時代から野球に打ち込み、中学・高校時代は数々の大会で活躍。
- 2015年の夏の甲子園優勝に貢献
小笠原慎之介投手の高校野球時代
ここからは、小笠原慎之介投手の高校野球時代の活躍についてみていきます。
東海大相模高校では1年生から頭角を現しました。

少年時代から圧倒的な強さがあり、個別指導を受けるなど恵まれた環境にいてたのですね!
2年生時の全国高等学校野球選手権大会では「140キロカルテット」の一員として注目されました。初戦では盛岡大附属高校に敗れましたが、小笠原投手は1回1/3を無失点3奪三振で抑え、健闘しました。
3年生の2015年夏には神奈川県大会で27回30奪三振、防御率0.00の成績で第97回全国高等学校野球選手権大会出場に貢献しました。
東海大相模高校のエースとして高校野球のチームに大きく貢献したのです。
高校時代の練習法
高校時代、投手として独自の技術を磨くこと、チェンジアップの精度の向上を意識していたようです。
ストレートと同等の強さを追求するため、「遠投によるチェンジアップ練習」というトレーニング方法を確立させました。
この独自のアプローチによって、変化球の威力と正確性を向上させたとのことです。
他の選手と違う取り組み方を意識
高校入学後、目的に沿ったコンディショニングを本格的に開始しました。
寮生活による環境の変化と、高卒でのプロ入りへの強い意志が、トレーニングへの意識になったようです。
他の選手との差別化を図るため、コーチに各メニューの目的を徹底的に確認したとのこと。そして、モチベーションを高めたようです。
同時に、栄養バランスのとれた寮の食事を通じて、身体能力を着実に向上させていきました。
高校1年生の冬、足首の故障をきっかけに、プロ入りへの道を諦めず、トレーニングと食事法を徹底的に見直しました。
自主トレを開始し、食事も栄養と運動量を調整しました。例えば、揚げ物の衣を残すなど、細かいところにこだわった食事管理により、筋肉量が増加し疲労感を感じにくい体質に改善。
高校2年生の冬には投球フォームが変化し、無駄な力を抜いて体重を上手に使えるようになりました。
結果として、相手の打球の飛距離を抑えることができ、3年生夏の甲子園優勝へとつながったのです。
甲子園での活躍
2015年8月20日。記念すべき100周年の大会でもあった第97回高校野球選手権大会。
決勝は45年ぶり2度目の頂点を目指す東海大相模と東北勢として初の甲子園優勝を狙う仙台育英。対決は見応え十分の大熱戦となりました。
では、その大会での小笠原投手の活躍をみていきます。
決勝の先発マウンドへ
東海大相模は、優勝候補筆頭の強豪チームです。強力打線と、小笠原慎之介投手と吉田凌投手によるダブルエース体制が特徴的でした。
当時の門馬敬治監督は、神奈川大会から両投手を起用してきました。決勝では、小笠原投手が先発することになりました。門馬監督は、最後まで小笠原投手にマウンドを託しました。
~決勝戦で小笠原投手が先発することになった経緯について~
途中で順番が狂ったことにより決勝戦は小笠原投手先発となりました。
初戦の聖光(聖光学院)との試合に吉田投手が先発して、次の遊学館に小笠原投手が先発したので、順番で行けば(5試合目となる)決勝は吉田投手の番です。
でも花咲徳栄との準々決勝に先発した吉田投手が4回途中で降板し、小笠原投手がそのあとに最後まで投げました。
それで次の関東一との準決勝はどちらが先発するのかと思われたが吉田投手が先発で7回まで投げたので、決勝は小笠原投手が先発することになりました。
小笠原投手は、決勝戦に特別な感情はなく、「普通にやれば優勝できる」と自信満々。雨上がりのグラウンドで、チームは早い段階で4点をリードしました。しかし、仙台育英も粘り強く反撃に出ました。チームの杉崎成輝選手の守備の乱れや、打線の攻めや抑えが試合の流れを左右しました。
4回表、東海大相模は追加点で6対3と突き放し、「攻撃が最大の防御なり」という監督の教えが見事に形となりました。小笠原投手はメンバーの打線の力強さを信頼したのです。
仙台育英の応援パフォーマンスが盛り上がる中、東海大相模は最終的に優勝を果たしました。
プロ野球ドラフト会議での秘話
2015年のドラフト会議で、中日ドラゴンズは小笠原慎之介選手を1位指名しました。
中田スカウト部長は、彼を「左ピッチャーではナンバー1」と高く評価し、右打者に対する直球の角度、球威、キレを絶賛しました。
また、甲子園での悪天候下でも揺るぎない精神力が評価され、球団史上最高条件となる契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円で仮契約となったのです。
さらに、前年に退団した川上憲伸投手の背番号11を継承し、将来のエースへの期待を示しました。



今後の大リーグのワシントン・ナショナルズでの活躍も期待したいですね!
まとめ
この記事では、小笠原慎之介投手の高校時代の活躍を徹底調査し、甲子園での秘話も振り返ってみました。
- 東海大相模高校では1年生から頭角を現した。
- 東海大相模高校のエースとして高校野球のチームに大きく貢献した。
- 高校時代から強い目的意識と志を持って練習に取り組んでいた。
- 高校時代独自の練習法や食事法を取り入れて体力づくりや精神力を鍛えた。
- 記念すべき100周年の大会でもあった第97回高校野球選手権大会において優勝に貢献した。
- 2015年のドラフト会議で、中日ドラゴンズは小笠原慎之介選手を1位指名。
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